今日出会った花・草・樹
一期一会
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2018/9/13 
 
「シロバナナガバノイシモチソウ」と長い和名の食虫植物で漢字では白花長葉の石持草と表記する湿地に生えるモウセンゴケ科の一年草、近くの小さな紫色はホザキノミミカキグサ(穂咲の耳掻草)で、これもタヌキモ科の食虫植物。どちらも絶滅危惧種に指定されている県も少なくないが、減少理由は自生地の改変や生育環境の悪化、人為による採取となっている。  人間の興味や好みは厄介なもので、やはり野に置けレンゲソウというわけには行かないところが難しい。またその好事家たちを対象に金儲けに走る人もいるわけで、この商売人の中には、自生地で取れるだけ取った後は、そこを踏み荒らして他の人が取れないようにする人もいると聞くが、嘆かわしいことだ。物事の判断基準を自己都合におくことは人間の特質だとしても、少なくとももう一段高いレベルでの自然界のバランスを承知した上で行動する理性を持ち合わせるという常識を弁えることが真の教養と思う。
2018/7/12  灌木の茂み
  丸谷才一氏の文春文庫版「探偵たちよスパイたちよ」の中の短編小説「トレーラー殺人事件の謎」に唯一植物を指す言葉で出てくるのが、タイトルの「灌木の茂み」で、茂みを撮影したことは無いのでこれは適切は画像ではないが、藪になってしまったヒメウコギの新葉である。この小説は、アメリか第16代大統領エブラハム・リンカーンが、1846年共和党の機関紙に発表したもので、1952年に本国版「エラリー・クイーンズ・ミステリー・マガジン」に掲載されて話題になったらしい。トレーラー一家の三兄弟とフィッシャーという男の死にまつわる話で、それこそ芥川龍之介の「藪の中」を思わせるような話が続き、当時のアメリカ社会を背景にした人々の動きが面白く描かれている。逮捕された次男アーチボルドへの評価、目撃証人の談、殺害現場での踏み跡、フィッシャーは生きていて自宅にいるという医師、その他多くのうわさや証言などが飛び交う。南北戦争の頃のアメリかの価値観の中でリンカーンがいかに知的な人で有ったかが分かって非常に面白い。
2018/4/16  ハラン 
 我が家の庭の隅にもハランはまとまった株になって生えているが、今まで花を探したことは無かった。今度他所で花を見る機会があり、改めて自宅のハランの根際を丁寧に探して見ると確かに花が咲いていた。凡そハランの形状から予想する花のイメージとは全く違う花で、事前に花の認識が無ければとうていハランの花とは思えないような形をしている。古く中国から来たと言われているが中国でもあちこちの公園に植えられているが野生地は判らないらしい。鹿児島県の東シ支那海の黒島で野生種が発見されたこともあって、いよいよ判らない植物だ。図鑑の扱いもバラバラで、今度の新分類でもユリ科からクサスギカズラ科に変わっており、不思議な植物だ。バラン切りと呼ばれる飾り切り絵が我が家にあるが、25年ほど前に元関西の調理人だった人が作った作品だが、今では食卓に飾ることもなくない。 
2017/10/1   ヒメノボタン
  ヒメノボタンは和歌山県以西で見られる多年草で、以前は沿海地の原野等に幅広く分布していたが草原等の自生環境の減少に伴って消える傾向にある。花は美しい紅色で一見逞しそうな茎葉をしているが里山が消えゆくのに比例して確実に絶滅の方向に進んでおり、里山を復活することができないと同様食い止めることは難しい。幸い宮崎県の一部集落では昔ながらの牛の餌としての草原を維持して行こうとする努力がなされており、地域の高齢者の頑張りに頭の下がる思いである。識者の話ではこの花は始めはオシベはメシベから遠ざかるような方向にあるが、後ではメシベを囲むような位置に集まってくるらしい(始めは自家受粉を避ける努力をなのか)。 
2017/8/18  キバナノレンリソウ
 
 宮崎市の河川堤防にあるレンリソウは県内では殆どの地域で絶滅した中で辛うじて残っている場所の1つで、保護しなければ消えてしまう運命にある。 この8月3日に伊吹山に行く機会を得て、初めてキバナレンリソウを見た。   伊吹山にだけ生育するめったにお目にかかれない花だが思ったほどの感激は無かった。霧が出ており花全体が多少ぼやけていたこと、生育環境の意外さがその理由だろうと思われるが、やはり開花時期が一番の原因だろう。周囲にさまざまな花が咲き競うお花畑の中であり、派手な色の花が咲き乱れる中で黄色い花色はインパクトに欠ける。比翼の鳥、連理の枝が意識の底にあるだけに、この花に対しては一つの思い込みがあって、どうしても春の野のレンリソウをベースに眺めてしまうからだろう。
 キバナノレンリソウはヨーロッパ原産の植物で古く伊吹山に帰化した。
2016/6/4  ジャガイモの果実
 
 ジャガイモを植えるということは、地中にできた食用の芋を一個若しくは数個に分割したものを種イモとしてまた地中に埋め、それが成長してできる芋を収穫することで、これを繰り返しながらその特質が伝えられてゆく。この循環が強化されてしまって結実する力が弱くなっているので、普通は花は咲いても種子(果実)はできないし、種子で増やそうとする意識が働かない。ただ、ジャガイモの新品種をつくる場合には、当然、二つの品種をかけ合わせて果実を収穫することから始まるわけで、専門業者は結実させて種子を利用して増やす方法を大事に繰り返して保存している。しかし新しい品種等で未だ結実する性質が強く残っている芋では結実することは珍しくないともいう。友人の畑でジャガイモの実が成っているとの連絡を受けて行ってみると、なるほど、かなりの株が実をつけていた。ミニトマトほどの大きさで先が尖り気味の果実がおおよそ花の数ほどもついていてその重みで茎の下部に垂れ下がっていた。友人の畑では植えたいくつかの品種の中で、実が成ったのはアンデス他一つの品種ということだった。
2015/11/28  トサムラサキ
 
  色の濃淡はあるが紫色は昔から人々に好まれてきたようで、洋の東西を問わず高貴なる人の色と考えられてきた。クレオパトラやシーザーしかり聖徳太子しかり。冠位十二階の最高位の大徳:濃い紫:は貝で染められる色だが、授かった人の中に遣隋使小野妹子が含まれていたというが本当のところは良く分からない。このトサムラサキはムラサキシキブ属の中では一番小さな2ミリほどの果実をつけるが、どちらかといえば淡い紫で、冠位十二階の色では小徳になろうか。紫色の表現ではパープル、バイオレット、マゼンタ、すみれ色、京紫、江戸紫などしか思い浮かばないが、古代フェニキアの貝紫は地中海で取れる「シリアツブリガイ」で染めた紫色といい、日本の場合近海で取れる「イボニシ貝」で代用せざるを得ないので貝紫とはいっても同じ色になることはない。色は厳密に言えば科学的な波長等で定義されるが、我らは通常そこまでは区分することなく、ああ美しい紫色だなあと言いながらも人それぞれに違った紫を見ているわけで特にそれで問題はない。WEB上での貝紫は、Webの中での色彩表記について定められた比色分析的定義なるものでの16進表記でいう「#7F1184」とされているらしい。
2015/2/3  寄せ植え
 
 2015年1月23日から28日までバンコクとハノイを観光してきた。正確に言えばバンコクの日本人学校とハノイの日本人学校を訪ねるついでに観光してきたわけだが、乾季のこの時期にも多くの花が咲いていた。ハノイで確か文廟(孔子廟)だったと思うが、そこを訪ねて門を入って中に通じる通路の両側に、仁、から始って義、才、徳、信、智、全部で6文字が両側の芝生地に花文字で掲げられていた。1mほどの枠の中に7×7個の小鉢を埋め込んで緑色の草を植え、鉢に赤い花だけが目立つ小さな植物が植えこまれている。ホーチミン廟の正面には段づくりの大きな盆栽が並べられていたし、街の中には盆栽を並べたコーナーもかなりあったし、日本人には住みやすい街だろうなあというような気がした。ハノイは緑の多い街だった。 
 2014/6/28  トガクシショウマ
 
 このページのタイトルを一期一会としているが、まさにこの「トガクシショウマ」が一期一会の花と言える。九州宮崎からこの花を見に行くことは容易でない。時期、場所、意欲、天候、体力その他多くの要件が揃ってはじめてこの花にあえるわけで、多分二度と会うことは無いだろう。トガクシソウもトガクシショウマも正式和名で、命名の過程等から破門草の名もあるそうで、やはりこれだけ人を引きつける花になれば引きずった歴史の重さも並大抵でない。環境省の絶滅危惧種に指定されて保護対策が取られているが、自生地の減少傾向が止まらず、日本特産のこの優美な花の絶滅が近づいている気がする。機会があって尾瀬ヶ原ツアーに参加できて6月19日花を撮影することが出来たが、天候についても前後の予報からは信じられないほどの好天で、引率関係者にただ感謝のツアーであった。
 2014/5/11   フウトウカズラ
  風籐(フウトウ)という木(蔓)を見たことはないが、仲間と間違われたほどだから感じはこの蔓に似たようなものだろうと思う。
  宮崎ではコショウ科の植物はこのフウトウカズラとサダソウがあるだけだが、コショウと違って辛みは全く感じられない。  コショウが古代ローマ時代から珍重され、独自ルート開拓のためにバスコ・ダ・ガマやマゼランの大航海時代が始まったことは有名だが、こちらの方は今のところ人間への大きな効用は見当たらない。
  フウトウカズラは宮崎では海岸近くの樹林で普通に見かけるありふれた植物で特に注目することはないが、ゆっくりと観賞してみると結構面白い蔓だなと思う。
  宮崎では唐辛子のことをコショウとも呼ぶことがあるが、風に揺れる雄花序を見ていると古いヨーロッパの栄枯盛衰とコショウの輸入との関係は結局食物に関連した覇権争いの歴史に繋がっていて、現在のTTP問題も同じだと見えてくる。
2014/3/29  アオキ(メバナ)
 アオキ(オバナ)
  山野に普通で家庭の庭にも珍しくないアオキはそのまま観葉植物で、子供の頃はゴム銃の台木として有用な樹だった。私は得意ではなかったが、左右の枝の出かたを見分ける要領があって正確に飛ぶゴム銃作りの上手な子供がいた。    日本の特産種ながら今では海外に広く植えられているときくが、講談社学術文庫の幕末日本探訪記(ロバート・フォーチュン 三宅馨訳)の中でフォーチュンは来日目的の一つがアオキの雄木を手に入れることだと書いている。また長崎でシーボルト博士の住居を訪れて日本植物誌に描写された植物とともに斑入りのアオキや雄のアオキを見せてもらったと書いている。アオキは1783年にイギリスに移入されたが美しい実がついた雌木ばかりだったことから植えても目当ての赤い実が成らなかったので、来日したフォーチュンが1861年雄木をイギリスに届けて初めてイギリスで赤い実が結実するようになり、それ以降広くヨーロッパ等に広まったという。
2013/11/23  ヒマラヤスギ
 
 足元に広がった木の葉を踏むとバリバリと音がする。乾燥して固まったにしてはあまりのも硬すぎるので、よく見ると丸まった木の葉ではない。周囲を見回すと辺り一帯に変形したイチョウの葉のような形のものが散らばっていて、中にバラの花のような物が2〜3個交じっている。頭上を見上げてハハア、これだなと納得した。ヒマラヤスギ(ヒマラヤシーダ)は比較的公園等で目にするが熟して落下した果実を見るのは初めてだが、スギとついてはいるがマツの仲間であること、またいかにもバラの花のように幾何学的な整った美しい形に感心した。連想は飛んでレバノン杉を想起し、メソポタミア文明から中近東一帯のの砂漠地帯へ果てしなく広がり、灼熱の砂中に眠る砂漠のバラが思い浮かんでくる。シーダはcederで西洋杉のことなので、ヒマラヤスギで良い思うがヒマラヤシーダという人も多い。
2013/8/19  ノヒメユリ
 
 うつむいて咲くユリで、上向きに元気いっぱいに咲くヒメユリとは感じが違う。分布域も四国、九州以南と限られているので図鑑によっては載ってない本もある。コオニユリに似ているが斑点がなく葉も見ただけで細い。
  草原に生えるので自生地は年々減少し、自生する殆どの県で絶滅又は絶滅危惧種に指定されているのは誠に残念なことだ。草地を元のように蘇らせることはできないので方法が見あたらないのが実情のようだ。
  長い目で見れば、我々人間も同じような生活を何時までも続けて行けない道理で、変化を受け入れて新しい環境に馴染む、痛みに耐えながら古いものを廃棄することが必要とは思う。しかし、2000年以上にも渡って我々と共存してきた草花が消えゆくのをただ傍観するしかないのだろうか?
2013/8/1  モウセンゴケ
 
 やはり地球全体が温暖化しているのか、30度以下であれば過ごしやすいと感じるこの頃だが、日当たりの良い山地で水がしみ出る場所は少しは涼しい気がする。モウセンゴケの白い花はその気で見ないと分からないほど小さいが、特徴のある葉が先に目につくので案外と探しやすい。ただ花と葉が良く分かるようにピントを合わせて撮影するのは至難の技だ。出来るだけ小さな株にねらいを定めて、花の形が分かる程度に近づいて、葉の形が見えるような角度でぶれないようにシャッターを切るのだがこれが難しい。たいていそんな場所は足場が悪くて姿勢が安定しないからだ。 何回も失敗したあげく、この花はモウ撮影センゴケだ。
2013/6/17  トケイソウ
 花の形が時計の文字盤と針に似ているから時計草で、英語名はパッションフラワー、ここまで変化する必要があるのかと思うほど面白い形の花だが、目的は昆虫の誘因だけなのだろうか。近縁の果物時計草(パッションフルーツ)のジュース:パッションジュ−スは宮崎県でも生産販売しているが冷やして飲むと美味しいジュースだ。原産地は南米で、16世紀布教に訪れたイエズス会宣教師はこの花を十字架に架けられたイエスキリストが後光に包まれている象徴だとして「受難の花」と呼んで布教に利用したというがいかにもそんな説明で納得しそうな花だ。passhonは怒り、愛、憎しみなどの激しい感情や激情の意味だが、the passhonは「キリストの受難」のことだと英和辞典には出ている。私は日時計を連想するけど
2013/5/26 コンニャク
 
 我が家の庭に買ってきたコンニャク玉3個を植えて4年になるが、1個は毎年花をつけ葉を開くが残る2つは葉だけつける。今年も4月に花をつけた1つの株はここ4〜5日でマムシグサ風の花茎の先に果実をつけた。
まだ青々しているがギッシリとついており、これが熟してこぼれたら相当数が地上にばらまかれることになるがさてどのくらいが発芽するのだろう 、それとも落ちた種子を拾ってプランターにでも播いてみようか。
 まあコンニャクを作るつもりで庭に植えたわけではなく、花の写真を撮る目的で植えただけなので、これを増やしてもしょうがないか。 
2013/5/7  シライトソウ
 
  加江田渓谷でシライトソウの花が咲き始めた。ユリ科と覚えてきたシライトソウは、DNAが決める新分類体系ではシュロソウ科シライトソウ属となり、変種のアズマシライトソウ、ミノシライトソウ、クロヒメシライトソウ、ヤクシマシライトソウ、クロカミシライトソウも、またチャボシライトソウも皆移ってしまったが、今度紀伊半島から新種としてキイヒメシライトソウが発見されて、シライトソウ属は3種、5変種となった。違いは白く細長い花弁6個の長さがそれぞれ違うということなので、宮崎のものもよくよく見ればシライトソウやチャボシライトソウとは違っている可能性無きにしもあらずかも。
2013/5/3  セイヨウヒキヨモギ
 
  大淀川の堤防にセイヨウヒキヨモギが群生するようになってもう何年になるだろうか。半寄生植物ということなので数回根を引っ張ってみたが、途中で千切れて確認できないまま放置している。鍬かスコップ等で慎重に根を周囲ごと掘り取れば、寄生した状態を見ることができるかも知れないが、ウォーキングの途中のことなのでそこまでの用意はない。
 また条件の良いこの環境下では寄生する必要も無さそうなので、案外と自分の葉で光合成して自立しているとも考えられるので、その内スコップ等を持参して半寄生の実態を確認しておく必要はありそうだ。
2013/4/25  ヤドリギ
 優しいというべきかお人よし(お樹よし)と考えるべきか、このアカメヤナギはオオバヤドリギとヤドリギを養ったまま、もう何年も頑張っている。
 左方の大枝は枯れかけているが、2種のヤドリギは元気いっぱいだ。
 未開社会の信仰等を記述したフレイザーの金枝篇では、カシワの樹についたヤドリギ(セイヨウヤドリギ)には魔除けや薬効・安産等万能の力があって神聖な樹とされ、金枝とはヤドリギを指すという。平和台公園の池を2分する小道から見上げて撮った写真で、周辺の樹にはオオバヤドリギが数多く寄生しているが、2種がついている樹はこの樹だけである。
2013/4/15  ヒメナベワリ
 
  ヒメナベワリを鰐塚山麓で見たのはかなり前のことだが、なんと、ここ3年ほどの間にナベワリの仲間は2倍にも増えてしまった。従来は、ナベワリ、ヒメナベワリ、北アメリカにあるという1種の計3種とされていたが、宮崎植物研究会の斉藤さんが、ヒュウガナベワリとコバナナベワリを、徳島県の木下さんがシコクナベワリを発見して、ビャクブ科ナベワリ属には6種が揃うこととなった。宮崎県内には3種があることになり、今のところ6種のうち3種が見られるのは宮崎県だけとなっている。このヒメナベワリはえびの市の竹林内で撮影したものだが、機会があればシコクナベワリも見てみたいものだ。
2013/4/8   キバナチゴユリ
  我が家の庭にあるチゴユリはもう20年ほども昔、野尻町の林内から持ち帰った一株だが、よほど環境に馴染んだのか毎年枯れもせず花を咲かせてくれる。ギンモクセイの根もとに植えたのだが少しずつ位置が動いて、今年は初めの位置から90度ずれた根もとで花をつけた。
 植物は動かないというが、ほぼ20年かかって10cmほど移動したことになる。いろんな要素を無視して単純計算すると、1年に5ミリ移動するとすれば1000年経てば5m位置が動くわけで、10,000年で50m、100,000年で500m、考えてみれば相当に大きな距離になる。
 鳥や風の力を利用して遠くへ移動する種子も含めて計算すれば、植物の移動速度も想像以上に早いような気がする。
2013/4/3  イペー 
 青空の中で公園のイペーが花をつけていた。イペーは沖縄の呼び名らしいが、和名もあって「コガネノウゼン」というようだがよく判らない。本家ブラジルの国花となっているイペーは花がピンク色だそうで、沖縄でイペーとして植えられている黄色い花は黄花イペーとも言うらしい。
 いずれにしても民家の庭にも植えられるほどここ10年ほどの間に宮崎では広まっている。澄み切った青空の中に仰ぎ見るイペーの花は意外性に富んで面白い。ただ正直なところ花の時期は良いが、花が済んだ後の樹は面白くも無いし何とも風情がないように思えるのは。あまりにも花の印象が強いせいだろうか。
2013/3/28  ミツバアケビ
 
 今年は例年になくソメイヨシノが早く咲いて、小中学校の卒業式を飾ってくれたものの、入学式に校庭のサクラをバックにした写真は撮れなくなってしまった。しかしながらこのミツバアケビの花は例年と殆ど同じ時期に咲いており、山野の開花時期を判断することは本当に難しい。
 この花のすぐ近くにアケビも花を咲かせており、やはり昨年と似たような時期で特に今年早めに咲いたとも思われない。
 そしてまた、あの甘い果実が少しは早めに熟れて食べられると期待する気になれないのも、植物が柔軟な繁殖調整能力を備えているからで、人間の都合はアケビにとって重要なものではない。
2013/3/25  カラタチ 
   平和台公園への階段に通じる道の脇に昔からある小規模なカラタチの垣根、やはり今年は開花が早い気がする。
 鋭いトゲで古くから侵入防止目的の垣根として植えられるが、大きくなるので普通の民家ではあまり見かけない。カラタチは唐から来たタチバナで、中国原産だが何となく日本風景の感じがするのは、北原白秋の「カラタチの花」がいかにも懐かしい風景のように心に親しまれているからではなかろうか。4番 「カラタチのそばで泣いたよ みんなみんなやさしかったよ」。万葉集にもカラタチを歌った歌が一首あるが、後々までも語り伝えられるような歌ではない。
2013/3/22 ワタゲツルハナグルマ
 
  絶滅が危惧される植物が増加しているが、帰化植物の中には少々のことでは絶滅しそうにない丈夫なものもある。
 このワタゲツルハナグルマ(綿毛蔓花車)が我が家の庭に居着いてもうずいぶんになる。余りにも増えすぎるので何回か徹底的な除去を試みたが、悉く失敗しているのは花が美しいことに原因がある。
 昨年も全滅を図ったつもりだったが今年も2株が花をつけている。
 結局美しい花が枯れた後で除去することになるが、その間に匍匐枝を伸ばして子株を際限なく殖やしてしまう。
 南アフリカからやってきた根性は並のものではなく、根絶は難しい。
2013/3/20 フデリンドウ
 
  雨も上がった午後、いつもの大淀川堤防をノルデイックウォーキングしていると一面のスミレの花の間にちょっと変わった紫色が目に入った。
  はてと足を止めて見てみるとフデリンドウが咲いていた。去年もあっったのに見逃していたのかなあ。
 しかし早いなあ。天端ではソメイヨシノがもう五分咲きだろうか。
 高水敷きの遊歩道はジョッギングの人や犬連れの人などで賑やかだが、植物は自然環境の変化に素直に静かに対応して花をつけるが、人間はカレンダーを基準にして早い遅いと騒がしい。