FILE NO 320 宮崎と周辺の植物
ヤツデ Fastia japonica (Thunb.) Decne. et Planch.
八手 ウコギ科
撮影日 2004.11.21
撮影場所 田野町

 宮崎でもありふれて無視されがちのヤツデだが、自生しているのは福島県、佐渡島以南琉球までで、日本の特産種である。
 和名も八の手で縁起も良く、またテングノハウチワ(天狗の羽団扇)とも云われるように大きな手のひら状の葉が茂る常緑樹で、庭木として、或いは生活の中で役立つ樹として広く利用されてきたが、生活の変化と軽薄短小が要求される時代の中で、身近に見る機会も減った。
 江戸時代、シーボルトより50年早い安永4年に来日したオランダ医師ツュンベルク(リンネの愛弟子)は多くの植物をヨーロッパに紹介したが、このヤツデもその一つで、以来庭木として外国でも栽培されるようになったと本に書いている。 学名(Fastia)は牧野図鑑の属名解説等では、八手の八(ハチ)に由来すると、また八手(ハッシュ)の読み方から来たとも述べている。
 ツュンベルク(Thunb)は日本から812種の植物を紹介しているそうだ。(江戸の植物学 大場秀章 東京大学出版会 1997年)
画像1 山麓の作業道脇のヤツデ、高さは3m近い。
  あまり枝分れしない幹の上部に集まった長い葉柄を、四方に大きく派手に広げて、7〜9裂した葉を開く。
 花はオシベ先熟、オシベが役目を終わって花弁と
オシベが落ちてしまってから花柱が伸びてくることで、
自家受粉を避ける仕組みになっている。
  子供が生まれると、子供の頭にヤツデをかぶせ魔を払う話を聞いた。昔から木の葉の形に不気味を感じ、木の葉は手のひらが大きく変形したものと考えられたそうです。(球磨の植物民族誌 乙益正隆 1978年地球社)
  宮崎でも家の入り口にこの葉を掛けていた
(宮崎の植物民族覚書 南谷忠志 1992年) 
画像2 枝先に豪快な円錐状に出る花序を伸ばして1〜2回分岐し、その先に丸い玉の様な散形花序を開いて20〜50個の花をつける。これは両生花が開いている状態。右下に蕾が見える。 画像3 花は花序の上部に両生花、下部に雄花がつくという。この写真では画像2の時期が進んで、上部では両生花の花弁と雄蕊が落ちて、雌しべの花柱が伸び出している。
画像4 両生花の拡大。アリが蜜に寄っている。
撮影中には他に、蜂、蠅も集まっていた。
(撮影:2004.11.27 田野町)
画像5 両生花の雄花期の花盤から分泌した蜜が光って見える。花弁5個、雄蕊5個、葯は白。
(撮影:2004.11.27 田野町)
画像6 両生花の一部はオシベを落として花柱5個が伸びてきているが、右端はまだオシベ、花弁が残っている。(撮影:2004.11.27 田野町) 画像7 完全に雄オシベと花弁がなくなって、雌花としての花柱が伸び出している。
(撮影:2004.11.21 田野町)
画像8 葉は深緑色で7〜9裂し、毛はなく厚く光沢がある。葉柄は長さ60cm近く、葉もさしわたし40cmほどになる(撮影:2004.11.21 田野町) 画像9 葉の裂片には粗い鋸歯がある。
(撮影:2004.11.21 田野町)
(鞍馬天狗の話)
  ヤツデの葉を見ると何故か「鞍馬天狗」の映画を思い出す。天狗のオジチャンの両胸についた「羽団扇紋」はヤツデの葉のアレンジに見える。
  調べて見ると天狗の力の象徴でもある羽団扇は羽でできたものだが、紋章としての羽団扇紋は不思議な力を持つ天狗の伝説に関係した神社やそこに由緒ある武家等に伝わる中でデザイン化されてきたようでヤツデからきたという話はない。
 意外にも南九州にある棕櫚の葉をデザインした棕櫚紋が太平記の中にもあるそうで、どちらもよく似た形をしてはいるが、オジチャンの羽団扇紋は残念ながら棕櫚紋が元になっているようだ。 
画像10 画像8の葉裏。網脈の目は大きい。
(撮影:2004.11.27 田野町)
(ヤツデの利用)宮崎では、他にウジ殺しに使ったり、子供が実鉄砲の弾に使っていた。
画像11 花序は最初白い苞葉に包まれているが花が開くと脱落する。(撮影:2004.11.7 宮崎市) 画像12 枝先に互生する葉柄の基部。
下の方に半月形の葉柄の跡が目立つ。
(撮影:2004.11.21 田野町)
画像13 茎は柔らかくて太くてもせいぜい5〜6cmになる程度。(撮影:2004.11.21 田野町) 画像14 茎には大きい髄があり、材としては使い道がない。径約3cm(撮影:2004.11.21 田野町)
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